火曜日, 3月 31, 2009

ツバメが来た


笑がなかないので朝寝坊して遅い散歩になった、明日はもう4月、ツバメがそろそろやってくると思って土手に出てぐるーと見回していたら、一瞬目を疑ったけれど、ツバメだ~~~、、、本当にびっくりした

1羽のツバメがとっても早く広範囲に川の上空を行ったり来たり飛んでいる、写真に撮りたくてもたもたしていたら姿が見えなくなった、今年はやはり早い

友人がウグイスが2~3日前から鳴いていると言う、以前笑の散歩時にいた同じ木で鳴いていたようだ、最近は笑が歩けないのでそちらまで行っていないので近いうちに行ってみよう

月曜日, 3月 30, 2009

チャーとテレビ


28日の夜テレビで立山のライチョウを見ていて、オスが縄張りを守るために侵入者を追撃してものすごい飛行をしたり、子育てや20歳の長寿の頑張り等に感激していたら、チャーがいつの間にかテレビの前で画面を見ていて雛が動くのに反応して手を出していて面白かった、外に出たことがない猫なので臆病だけど、笑のヨボヨボ姿でも見て興奮して絨毯をかいたりガラスに擦り寄ったり面白い、結構好奇心が強く押入れやらクロゼットやら戸を開けて探検するのは困るけれど、安心しきっての仕草は犬とは又違う味わいがありかわいいい

土曜日, 3月 28, 2009

追憶 5


午後4時前に病院に戻ると、ピーは体を清められ白い真新しいタオルに包まれていた。先生始めスタッフの皆さんに心からのお礼を述べ見送られてピーをやっと家に連れて帰ってきた。私の腕の中の小さな棺はすっかり軽くなっていて一層愛おしい。ピーが大好きだったおこたつの上に寝かせて体中撫でて、お線香を焚き手を合わせ父に報告した。よく頑張ってくれたね、本当にすごい、危篤状態から半月本当に本当に生ききってくれた。有り難う、有り難うピー。そしてごめん、あなたに向き合う浅く薄い私であったことを。

この病院のこの先生のここのスタッフ全員の命に対する尊厳尊敬と深い愛情と優しい心がなければ、私はこんなにピーに心を震わせ敬愛の情を感じ、関わってくださった皆様に感謝と尊敬の念を抱かなかったと思う。命あるものその尽きる時、自然体での寿命の中で精一杯生き関わったことで善しと思い客観的に死を受けとめていたことが、多くの方の深い想いに接し、内からの感情として心を清く豊にさせていただけたと思えている。

愛は心を潤したがやし育てることを改めて気付かせても貰った。

先生方にお礼を申し上げたい。そして万感の思いで、ピーちゃん有り難うそしてごめんね、安らかにおやすみそしていつまでも一緒にいるよ、と心が叫ぶ。

初七日を迎える前日、先生から『ピーちゃんへ』のしおりを添えてお供えアレンジメントのお花が届けられた。感激して又ピーちゃんが一層心深くによみがえる。ありがとう。

金曜日, 3月 27, 2009

追憶 4


7日の週はピーは抱かれたいような仕草や、頭を私の手に載せたりこすり付けるような仕草や、ガラスを掻いたりして親愛の情を見せてくれた。次の週は脚が利かなくなり、ずって水を飲んだりしていたけれどそれも出来なくなり、それでも週半ばには割合良く食べて17日には久しぶりに大量のウンチが出てお尻やら脚やら汚してしまった。がそれも間もなく毛をすいてくださってきれいになっていた。次の週、浮腫がでたとのことで利尿剤投与をしてくださり、尿が排水路一杯に流れ出て20日には改善したとのお話だった。18日に卵焼きを20日にレバーを少し食べて、その後は全く食べれなくなった。22日病院が早終いで午後3時にピーに会いに行った時、横になったままで私を見てくれた。ピーの負担を少なくするため、頭や体、脚をそーとなで素早く戸を閉め、しばらく心の会話をして帰ってきた。23日(金)朝9時に病院を訪れるとピーは酸素室にいなかった。一瞬で全てを悟った。奥の部屋のテーブルの上に安らかに寝ていた。ピー、、、よく頑張ったね、本当に良く頑張ったね、、、等と先生方と言葉を交わして、熱いものがこみ上げてきた。がこの日も変更できない用で時間に追われながら一日出かけてしまった。

木曜日, 3月 26, 2009

椿とヒヨドリ


このところ雪が舞ったりして寒いけれど庭の椿が咲き温かさを感じる、一日中パソコンをしていて庭を見ると去年蒔いた野沢菜をヒヨドリが摘まんでる、いつもすぐ逃げられてしまうけれど口に菜っ葉を挟んだのをやっと撮れた、時々食べているのでおつゆのみには出来そうにない、最近は笑の残しやこぼれご飯もスズメがきれいに食べていってくれる。家の中で座っていても外の賑わいが感じられていい
カルガモは25日夕の2羽、朝には3羽24日の夕には2羽が飛んでいたり対岸寄りの流れに降りたりして動きが活発だけど今日は1羽も見なかった

水曜日, 3月 25, 2009

追憶 3


酸素室でピーは穏やかな呼吸で新年を迎え過ごしていた。朝昼晩、食べそうな食事を持っていって話しかけながら口元に差し出すけれど段々食が細くなり顔をそむけたり反応がなかったりの経過中、ついに7日(水)の夕、先生から「何時逝ってもおかしくない状態だ」と言われ、とっさに残り少ない命の灯火を承知していた私は「家で看取りたい」と言ってしまった。それに対し先生から「人間ならば内視鏡などで診断も的確に出来治療もより適切にできるけれど、獣医師分野では出来ないことが多く、この子にとって本当に申し訳ない。命の尊厳を最後まで大事にしたい。どうか治療を続けさせてください。」旨のお言葉を頂き、真摯な姿勢に胸打たれて「よろしくお願いします」と頭が下がった。でも、父と家と最後のお別れを、自分のエゴとは感じつつも、ピーとしたかったので、一時でも連れて帰ることをお願いした。先生は真剣に方策を講じてくださり酸素マスクをつけての帰宅がかなった。翌日からその瞬間が在るようなないような、そして11日には遠方から面会に来たりして家族が現実を受け止めていた。毎日の食事面接が続き食べないことも増えてきて、少しでも食べてくれると良かったねと一喜一憂の静かな時が過ぎて日を重ねていった。先生方の相変わらない温かな対応に私の心は申し訳ないような動揺があったり、父が食べれなくなって点滴も入らなくなって亡くなったあの姿がピーの今の姿と重なり胸が痛み雑念が出てきたり、でも先生はぶれることがなかった。

火曜日, 3月 24, 2009

追憶 2

18日朝、ピーは元気がなく食欲もない。動物病院に駆け込んだ。混んでいてやっと診察していただいた結果は突発性血小板減少症。血小板がほとんどない。当然出血、そして貧血。すぐに治療が始まった。止血の注射、血小板造産のための注射やら、そして点滴、帰宅したら午後もかなり過ぎていた。ピーはコタツ布団の処でだるそうに寝ている。だが呼べば反応があり夕食も食べた。次の日から血小板は出現したけれど貧血状態が進んだ。診察初日のPCV(%)31%(貧血の指標、基準値37~55)が21日には22%まで下がった。22日は一日用があり朝からピーを病院に預けて出かけたので、貧血が改善せず緊急を要すると判断された先生がドナーを依頼しピーに輸血をしてくださった。その効あって翌日の検査では37%と改善し、その後も治療効果をあげるための先生の熱意と誠意のこもった治療が続けられた。しかし胃か腸か内出血は治まらず便は依然真っ黒く皮下出血も波があった。ピーは呼んでも反応しないことや食事も残したり元気がなく呼吸も荒くなり、ついに暮も迫った29日先生に全権をお任せして酸素室に入院ということになった。命を預かる現場に暮正月もなく、先生はじめスタッフの全員が本当に良くみてくださった。私は師走の気ぜわしい時期の突然の病院通いで忙しく、仕事も滞り気分的に焦ったり体調を崩し動けなかったりで初めて大掃除もしない年取りになった。

月曜日, 3月 23, 2009

追憶 1

2ヶ月前、愛犬ピーちゃんが天に召された、深く追悼し、5回に分けて追憶を記したい。

2008年12月16日(火)早朝、目覚めて眠れない。朝に弱い私には珍しい事、後で思えば4年前96歳で亡くなった父の命日であった。空には星がまたたき寒さもそう厳しくない。かねてからの北アルプスの朝焼けを撮りたいおもいが頭をもたげむくっと起きて出かけた。期待ほどの感動ではなかったが朝からの日本晴れに又心動かされることになった。帰宅して、父と8年余を共にしたマルチーズ犬ピーの世話をした時にウンチが黒いのに異変を感じながらもスキーに出かけ、ボランティアをして、夕日の北アルプスも撮って家に戻るともう暗かった。ピーはうれしくて飛び回っているがひどい血尿を出していて、ピーが寝ている所のコタツカバーも汚れていた。夜ピーの体を撫でながらお尻に皮下出血があるのに気付いたけれど、いつもと変わらない時間が過ぎていった。次の朝も真っ黒な便、血尿は薄くなったけれど元気も食欲も変わらない。それでどうしても休めない外出となった。この日点状出血は腹部等にも広がっていた。ピーは父亡き後一人でこの家を守り、私が朝晩時に昼も訪れてピーと関わった日々、、が終わろうとしていた。

日曜日, 3月 22, 2009

春の嵐

今日は南からの強い風雨で鳥達も避難していて姿が無い

21日(土)は土手に出たあたりで建物の間からの朝陽を挟んでカルガモが2羽いた、夕方も上流の対岸の流れに2羽いたが、遠くて暗くて又ボケたシルエットになったしまった
20日(金)にはマガモが2羽、久しぶりにブロックの上にいた、ブロックの右側に引っかかった黒いビニールゴミに恐れをなしていたのか寄り付かなかったけれど、風雨に飛ばされ小さくなったせいかやっと来てくれてうれしかった、カップルの姿もほほえましい

木曜日, 3月 19, 2009

コサギもきた



今朝、笑が歩かないので僅かな所で帰ってきたが、元気な頃に行っていた辺りの下流に白く丸いものがある、気になって笑を家に置いて出かけた、肉眼では丸く何か分からず写真を数枚撮ったら下流へ飛んでいってしまった、コサギだった、
夕方早めに上流方向へ行ったらダイサギがいた、暖かくて行動範囲が広がったのかよく来るようになった

水曜日, 3月 18, 2009

サギの来訪





今朝も昨朝もサギが13日と同じ場所にいた、同じサギだろうか、いや違うような、今回の方が愛嬌がある、右左に首を向けてポーズをとってくれたり余裕があるというか鋭いまなざしを感じない、(首を伸ばしているのが昨日のサギ)、陽気が暖かくて餌が採りやすいのだろうか、またの来訪に期待する
15日(日)と16日(月)の夕方カモが2羽いたけれど暗くなって写真がうまくいかない、16日のを自動修正してみたらボケボケの写真が絵風になった

日曜日, 3月 15, 2009

過日分





今日は素晴らしい晴天でカモたちはいない、
13日(金)サギがいた、ジーとこちらを見ていて近づきたいが警戒心が強いから躊躇した、写真で見たらおもいっきり首を伸ばしかわいらしい
14日(土)朝、雨で川は増水、久々振りにブロックの上にメスが1羽いた、ファッションショーを見せてくれているようでしばし楽しかったけれど、じきにポチョンと降りて細い流れの方へ行ってしまった、きっとオスがいるのではと思った
夕方、今度はオスだけがいた、アレレ
笑は、側道に出る細い道の上りで飛び跳ねて顔と前脚をもろに打ってしまった、飛び跳ねるのが早すぎた、平面や勾配の差が分からない、アアかわいそう、痛かったね

木曜日, 3月 12, 2009

どうでもいいブログ








人様には失礼なと思いつつどうでもいいブログを続けていてる、笑が生きている証のようなものだから、目がかなり見えなくなって歩くのも恐ろしいかんじなのに、それでも欠かしたことのない朝夕の散歩に行きたくて催促の悲しい声をあげ続ける
9日朝、カルガモ2羽、マガモ2羽
10日夜、カルガモ2羽
昨日今日は見かけないので、4~5日前から咲いている隣家の紅梅で明るい春を感じよう

日曜日, 3月 08, 2009

増水











このところの雨で川が増水している、雨の時はカモのいる確率が高い、一昨日は3羽、昨朝は2羽、今朝はマガモのペアとカルガモ3羽いた、週半ばの夜にも3羽寝ていたが、昨日しか写真に収める事ができなかった、
今日、用で出かけたついでに白鳥を見てきた、田んぼの白鳥達(41羽)は昼の食事時で忙しそう、若鳥が多いかな、白鳥湖では綿を丸めて投げたような白い塊だ(333羽)、見物客も少なくてしばし至福の時だ、カモはヒドリガモ、オナガガモが多くオオバン、マガモもいた

日曜日, 3月 01, 2009

ふきのとう







暖かく穏やかな弥生初日、庭のふきのとうが開いていた、11月終りか12月初め頃から蕾が出ていたけれど、正月にもその後の機会にも採るのを忘れていた、ふきみそが大好きで山から採ってきて植えて10年、早速ふきみそにしていただく、北側のはまだ蕾が硬い

夕焼けが冬の西南から西に移り、その茜色が北の空まで帯をなし、季節の変わりを実感する

春だ~♪♪♪